atae

2020/06/08

与 勇輝(あたえ ゆうき) / 人形作家

1937年、神奈川県川崎市に生まれる。
竹籠や木のスプーン、桶など、家で使用する道具を全て手作りする父親、手芸や裁縫が得意な母や姉など、物作りが得意な家族に囲まれて育ちました。
自身も、絵や工作など物作りが大好きで、身の回りの物は全て自分で作ってしまうという、手先の器用な子供でした。
1956年、商業高校を中退後、義兄の勧めでマネキン制作会社に就職し、デザイン、制作、ディスプレー等に携わります。
20年ほど勤務しますが、人形製造の工業化が進み、樹脂を型に流し込む製造法に変わった事によりやりがいを失っていた頃、人形作家・曽山武彦氏の木綿の人形と出会います。
素朴さと暖かさを持つ木綿の魅力に魅せられ、これをきっかけとして、人形作りにのめり込むようになります。
マネキン制作技法を取り入れた独自の手法を編み出し、1970年には川本喜八郎や辻村寿三郎ら人形作家グループによる「第2回グラッブ人形展」へ参加します。
その後も、毎日新聞社刊、人形絵本「シンデレラ」「ピノキオ」の制作に携わり、1977年にはギャラリーヤエスにて個展を開催し、人形作家として活躍していきます。

与の作る、日本の原風景を思わせるノスタルジックな人形たち、そのほとんどは子供をテーマにした作品です。
これは「子供が好きだから」という理由ではなく、一貫して自分の幼年時代のイメージから生まれているそうです。
8歳の時に終戦を迎え、敗戦後の混乱と荒廃、その後続いた食糧難、その中を懸命に生き抜く人々を見て育った与。
「ころげまわった広い原っぱ、天神さまの赤い椿、神社の森と真っ赤な夕焼け、いつもメダカのように群れて遊ぶ子供たちを自然は母のように大きな懐で包んでくれていた。あの頃の記憶が脳裏から消えない限り、これからも子供の人形を作り続けるでしょう」と語っています。与にとって人形とは、自分を凝縮させて姿形を変えた分身、つまり、自分を映し出す鏡なのです。