京都市 下京区 川合玉堂 掛軸 骨董品 買取

2014/10/06

遺品整理のご依頼、京都市下京区にて川合玉堂の掛軸や古道具、骨董品、唐木の花台などを買い取りさせて頂きました。

川合 玉堂は日本の明治期から昭和期にかけて活躍した日本画家です。
川合 玉堂 カワイ ギョクドウ 本名は川合 芳三郎カワイ ヨシザブロウ。1873年(明治6年)11月24日〜 1957年 愛知県葉栗郡外割田村出身。

12歳頃より絵に親しみ、京都ではじめ望月玉泉門下となり後に幸野楳嶺門下で円山 四条派を学んだ。”玉堂”と号したのは1890年(明治23年)17歳の時。その際「春渓群猿図」「秋渓群鹿図」が第三回内国勧業博覧会に入選。
1896年(明治29年)23歳の時に上京し橋本雅邦に師事。岡倉天心、雅邦、横山大観らが創立した日本美術院(1898年)には当初より参加している。1900年(明治33年)からは私塾「長流画塾」を主宰、1907年(明治40年)には第1回文部省美術展覧会(文展)審査員に任命され、また1915年(大正4年)からは東京美術学校日本画科教授、1917年(大正6年)6月11日帝室技芸員に任じられ日本画壇の中心的存在の一人となった。1931年(昭和6年)にフランス政府からレジオンドヌール勲章、1933年(昭和8年)にはドイツ政府から赤十字第一等名誉章を贈られ、1940年(昭和15年)には文化勲章を受章。
第二次世界大戦中の1944年(昭和19年)に、かねてより頻繁に写生に訪れていた東京都西多摩郡三田村御岳(現・青梅市)に疎開、住居を「偶庵」、画室を「随軒」と称した。第二次世界大戦後にも、同地の自然を愛する玉堂はそのまま定住、同地で1957年(昭和32年)没した。現在、同地には玉堂美術館がある。
また、神奈川県横浜市金沢区には1917年(大正6年)頃に建設した別邸「二松庵」があり、横浜市指定の有形文化財として月1回の一般公開もなされていたが2013年(平成25年)10月16日に発生した火災により全焼。
日本の四季の山河と、そこで生きる人間や動物の姿を美しい墨線と彩色で描くことを得意とした。
玉堂には長野草風、池田輝方、池田蕉園、松本姿水、山内多門ら多くの門人がいた。

代表作は二日月、行く春、溪山四時図屏風などがある。

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