大倉陶園は、日本が世界に誇る陶磁器メーカーです。
創業者である大倉孫兵衛と大倉和親は、創業当時、日本陶器合名会社(現:ノリタケ)、東洋陶器株式会社(現:TOTO)、日本碍子株式会社(現:日本ガイシ)を既に設立しており、日本の陶器産業に不動の地位を築いていましたが、「良きが上にも良きものを」を理念に、欧米諸国の一流品に劣らない陶磁器作りを切望していました。
「フランスのセーブルや、イタリアのジノリー以上の物を作り出したい」という夢を実現するため、ヨーロッパ各国の製陶工場を視察し、1919年に私財を投じて創業。
硬質磁器の製造は困難で、3年余りの歳月をかけて研究を重ね、1922年「色の白さ」「硬さ」「肌のなめらかさ」を併せ持つ、『白磁薄肉彫蓋付菓子鉢』が完成しました。悔しくも、大倉孫兵衛が他界した後でした。
1924年、三越と取引を開始。
1929年、紋章入りディナーセットを海外へ輸出。
1932年、アメリカ合衆国日本大使館にディナーセットを納品。
1945年、第二次世界大戦での空襲で工場が焼失してしまう。翌年には製品の出荷を再開し、1950年に法人化。
1955年、日東陶器商会(ノリタケテーブルウェア)に販売を委託。
1959年、皇太子明仁親王と美智子様の成婚の際に、晩餐会の食器を献上し、以降王室御用達となっており、海外からの国賓をもてなす際にも大倉のディナーセットが使用されています。
「セーブルのブルー」「オークラのホワイト」と称賛されるほど、白磁の美さは有名で、最高級のカオリン(粘土)を使用し、1400℃以上の高温で焼成するなど、様々な工夫と努力で白磁の美しさを創り上げてきました。
その他にも、数々の卓越した技法を開発し、たくさんの美しい作品が生み出されています。
[手描き]
繊細な日本画の技法を用いた手書き商品は、国家技能検定1級を取得した絵師たちが1点1点心を込めて制作しています。
熟練した技で絵付けされたその精緻な美しさは、息をのむほど。分業制ではなく、1つの商品を1人の絵師が担当します。
[岡染め]
一度焼成した白磁に絵付けをし、再度1460度の高温で焼成することにより、絵の具が釉薬の中に溶け込んで柔らかさと深みのある風合いになるという、大倉陶園独特の技法です。
1928年に誕生した「ブルーローズ」は、大倉陶園を代表する岡染めの作品です。
透き通るような白磁と、紺青のコントラスト。その幻想的な美しさが、今なお人々を魅了し続けています。
[エンボス]
大倉陶園だけが保持する、技能遺産、エンボス技法。
型抜き直後の柔らかい生地をローラーで回転させながら模様を施し、その部分のみ釉を塗らずに焼成します。
そこに筆で1点1点金を手塗りして焼き付けるという、大変手の込んだ高度な技法です。
1930年頃に誕生した、エンボス技法を用いた「クラウン」は、古くから愛され続けているデザインです。
[呉須]
施釉前の素焼素地に彩色する最も伝統的な技法です。
素地の特性上、素早く着色する必要があり、色の濃さを揃える配色が難しく、高い技術が必要です。
大倉陶園の代表的な呉須絵である「呉須唐草」は、正倉院御物の忍冬唐草文や唐花文様の描かれた宝物から着想を得て誕生した作品です。
[金蝕]
サンドブラストの技法を用いた金蝕は、焼成した白磁にマスキングされた絵柄を貼り付け、砂を噴射して表面を削り、モチーフを浮き彫りにします。
その後、金を塗布して焼成すると、マスキング部分と削った部分で、金の光沢に差が出て模様が浮かびあがります。
「金蝕バラ」は金蝕技法を用いた大倉陶園のロングセラーデザインです。