【楽焼】
楽焼とは、安土桃山時代、天正年間(16世紀後半)に、京都で生まれた焼物です。
ろくろを使用せず、手とへらのみで成形する「手捏ね」と呼ばれる製法で作られています。
わずかな歪みと厚みが特徴で、重厚で深い存在感を表しています。
安土桃山時代、茶の湯は高価で派手な茶碗が好まれましたが、千利休は「侘茶」と呼ばれる、一切の無駄を排除する茶湯の様式を確立し、「茶碗」という形で表現しました。
京都の陶工である長次郎が千利休の指導のもと、生み出した黒楽茶碗、赤楽茶碗が、楽焼の始まりとされています。
黒楽茶碗は加茂川黒石から作られた釉をかけ、1000℃で焼成、釉薬が溶けたところで窯から出して急激に冷やことで黒くなります。
赤樂茶碗は、透明の釉薬をかけて800℃で焼成します。
楽家の二代目、田中宗慶が豊臣秀吉より楽の銀印を賜り、家号にしたことから楽焼と名付けられました。
禅に通じる侘茶の美意識を元に生まれた楽焼は、日本六古窯などの地域産業的な窯産業とは異なり、「茶の湯のための茶碗」という明確な目的があります。
【昭楽窯】
1905年、千利休に傾倒した佐々木吉之介が、清水寺前に「昭楽窯」を開窯。
1935年、佐々木成三、二代・成雲軒佐々木昭楽襲名。
1944年、亀山に窯を移し、歴史と伝統に新たな手法を織り混ぜ、吉之介の精神を脈々と伝え続けています。
1965年、佐々木富夫、二代昭楽に師事。
1983年、三代・成雲軒佐々木昭楽襲名。
2015年、佐々木慎吾、三代・佐々木昭楽に師事。
昭楽窯の作品には「昭楽」と「松楽」印の物があります。
佐々木昭楽の作品には「昭楽」印が押され、窯の職人による作品は「松楽」印が押されます。
【歸來窯】
1953年、佐々木輝夫・二代昭楽に師事。
1996年、歸來窯、初代佐々木虚室襲名。
1987年、佐々木大和、初代・佐々木虚室に師事。
2011年、歸來窯、佐々木虚室襲名。
2013年、佐々木雄太、二代・佐々木虚室に師事。