江戸時代中期を代表する浮世絵師。
島妍斎に俳諧を学んで俳号を「宜富」と称したり、文雅の世界にも広く活躍している。
宮川派の浮世絵師、宮川長春の門人「宮川春水」に師事し、宮川を画姓とした。
のちに、勝宮川、勝川と改め一派を唱えるまでに至る。
春水までの宮川派は、版画ではなく肉筆の美人風俗画を専門とした。
春章はそれまでの肉筆画一辺倒だった流風を改め、版画も描き、浮世絵黄金時代の立役者として活躍した。
1764年、春章は地元問屋の林家七右衛門の家に居候しており、貧しく名印が作れなかった為、林屋の受領印を使用して名印とした。
受領印は壺の中に林の文字があり、この為、人々は春章を壺屋と呼んだ。
同年、浮世絵師、鈴木春信が中心となって錦絵を創成し、春章はこれに協力し浮世絵の新様式開発に成功した。
1770年「絵本舞台扇」で、浮世絵師一筆斎文調と合作し、1776年には「青楼美人合姿鏡」「かいこやしない草」で北尾重政と合作するなど、大家名人と共に浮世絵界の発展に貢献した。
春章の作域は広く、細判、中判、大判などの錦絵一枚摺りのほか、絵本、黄表紙挿絵、芝居絵本なども手掛けている。
50歳を超えた頃には、勝川派の代表の座を弟子の春好と春英に譲り、版画の制作よりも肉筆画に親しんでいたようだ。
主題として書く題材も多様で、人物風俗、美人画、役者、力士など歴史人物から風景まで、幅広く描いた。
春章の浮世絵史上最もたる功績は、役者の個性的で写実的な役者絵で新たな表現方法を確立したことと、
肉筆美人風俗画で近代的な画風で人気を博し「春章一幅価千金」と称賛されたことであろう。
代表作は、「絵本舞台扇」 (一筆斎文調との合作) 、「東扇 / 中村仲蔵」 (東京国立博物館ほか)
肉筆画の代表作「雪月花図」「婦女風俗十二ヶ月図」はMOA美術館に所蔵されている。