小島漆壺斎(こじましっこうさい)は江戸時代から370年以上続く塗師、蒔絵師。当代は七代小島漆壺斎。

●初代小島漆壺斎 西暦1761年(宝暦11年)〜 1816年 (文化13年)
初代小島清兵衛は元々京都の塗り師でしたが、松平直政公(まつだいら なおまさ)が信州松本より出雲に国替し、初代出雲松江藩主になった翌年に、塗師の棟梁として松江藩に仕える事になりました。それ以後、代々松江藩の御抱え塗師となる。
5代目小島清兵衛は出雲松江藩の第7代藩主、松平不昧公(まつだいら はるさと)に従って上京し、主に松平不昧公の茶道具を制作しました。この際に江戸で江戸時代後期の蒔絵(まきえ)師、原羊遊斎(はら ようゆうさい)に師事して蒔絵を習得しています。
現在、絲原記念館に収蔵されている、狩野 栄信家狩野派8代目の絵師、狩野伊川院栄信(かのう ながのぶ)の下絵による粉溜秋野棗が松平不昧公に大変気に入られ、漆壺斎の号を与えられました。以後、代々漆壺斎を名乗るようになりました。
3代目漆壺斎の時代まで出雲松江藩のお抱え塗師として藩主に使えていましたが、その後も小島漆壺斎は代々塗師として作品を松江で制作し続けています。
現在は7代目漆壺斎である小島史暉が活躍されています。また7代目の娘である小島ゆりが父親に師事し国内外で優れた作品を発表されています。