梅清(バイセイ Mei Qing)は中国、明時代末期〜清時代初期に活躍した詩人、文人画家。西暦1623年~1697年(天啓3年〜康煕36年)。

原名は土義。字は渊公。瞿山、梅癡、老瞿凡夫、雪廬などと号した。安徽省の人。

安徽省宣城の名家の生まれで実弟の梅庚(ばいこう)と共に詩人、画家として大成した。1654年(順治11年)に挙人するも士官する事無く生涯を詩、文、画に捧げた。幼い頃より詩画に優れ山水、松を好んで描いた。康熙5年から宣城に15年滞在した遺民画人・石濤らとしばしば黄山に登り雲煙変幻の様子を描いた。その画風は石濤にも大きな影響をあたえたとされている。心の赴くままに描き出す景象はたくましく堂々しており筆法においてはゆったりとしていて墨色は深く沈んでいる。書においても画同様に独自の風格を備えており、壮快かつ自在なスタイルは当時とても新鮮なものだった。

著書『天延閣前後集』ほか。