莫是龍 ばくしりゅう baku shi-ryu は中国、明時代に活躍した書家、文人画家。西暦1537年~1578年(明・嘉靖16年~万歴15年)

中国の北宋末の文学者・書家・画家、米芾の石刻から『雲卿』の二文字を取って字としたが後に廷韓とあらためた。秋水、又は後朋と号した。華亭(現在の上海市松江県)の人。父は書家で浙江布政使の莫如忠。詩文に長じ鑑識にも秀でた。天分に富み幼い頃から家学を承けた。10歳になる頃には文章をつくり周囲からは神童とたたえられた。賞鑑の才能は父を上回るものがあったが、生涯士官しなかった。書は鐘・王および米を法とし、王世貞に称賛されるほどであった。山水は黄公望を宗とたが、後におおらかかつ鬱蒼とした独自の境地に至った。晩年には同郷の後輩文人画家、董其昌に画法を伝授し、その後、董らと松江派を結成し、藝術運動の中心メンバーとして活躍した。著書には『石秀斎集』がある。