三浦 竹泉(ミウラ チクセン)は京焼( 清水焼 )の窯元、名跡。当代は5代目。

●初代 三浦竹泉
1854年 (安政5年)〜1915年 (大正4年)
本名は『渡邉政吉(駒次郎)』。号は『有声居』後に『篩月庵』とする。
13歳の時に三代目高橋道八(京焼(清水焼)の陶芸作家)に弟子入りする。
その後、1883年 (明治16年) に独立。五条坂に窯を構えた。ヨーロッパの色彩を磁器に応用するなど進取の意に富んだ作風で、京焼の改良に貢献した。器用な人物で、得意分野は染付、祥瑞、吹墨、色絵、金襴手など多岐にわたった。文化人、文人との交流も盛んに行い、その影響もあって書画を趣味とした。また『 和漢対象陶説 』漢訳版を出版した。


●二代 三浦竹泉
1882年(明治15年)〜1920年(大正9年)
父の死後襲名するが、そのわずか5年後に早世した。


●三代 三浦竹泉
初代竹泉末子。兄2代目竹泉が早世し、そして兄の子がまだ幼かった為、1921年(大正10年)襲名した。1931年(昭和6年)に4代に家督を譲るがその後も『竹軒』と号して製作を続けた。


●四代 三浦竹泉
1911年(明治44年)〜1976年(昭和51年)
二代目の長男。1931年(昭和6年)に四代目襲名。主に煎抹茶器を製作しました。


●五代 竹泉
1934年(昭和9年)〜(当代)
四代目の長男。幼名は『徹』。1957年(昭和32年)同志社大学文学部・美学芸術学を専攻。(その間に華道、煎茶堂、茶道、香道を修行)
卒業後、父の元で修行する。1972年(昭和47年)に五代目竹泉を襲名。京焼の歴史研究でも第一人者の一人である。