王原祁 [おうげんき Wáng Yuán qí] は中国、清時代初期に活躍した文人画家。西暦1642年~1715年(明・崇禎15年~清・康煕54年)。 王時敏の孫。四王呉惲(しおうごうん)の一人。字は茂京。麓台と号した。江蘇大倉の人。
幼い頃から祖父・王時敏や王鑑らに南宗画の英才教育を受け、王公望を宗とした。後に清初の文人画風の典型を作るなどして清時代、中・後期の山水画に大きな影響を及ぼした。
西暦1670年(康熙9年)29歳の時に進士。その後昇進し、宮廷供奉画家として書画鑑定にも関わった。『佩文斎書画譜』を編纂するとともに、『万寿盛典図』の制作をとりしきった。
詩文にも優れ『芸林三絶』と称された。弟子が極めて多く『婁東派』を結成した。
著書には『兩窓漫室』や『麓台跋画録』などがある。
幼い頃から祖父・王時敏や王鑑らに南宗画の英才教育を受け、王公望を宗とした。後に清初の文人画風の典型を作るなどして清時代、中・後期の山水画に大きな影響を及ぼした。
西暦1670年(康熙9年)29歳の時に進士。その後昇進し、宮廷供奉画家として書画鑑定にも関わった。『佩文斎書画譜』を編纂するとともに、『万寿盛典図』の制作をとりしきった。
詩文にも優れ『芸林三絶』と称された。弟子が極めて多く『婁東派』を結成した。
著書には『兩窓漫室』や『麓台跋画録』などがある。