黄道周(コウ ドウシュウ Huang Tao-chou)は中国、明時代後期に活躍した文人画家、書家、烈士、文化人。西暦1585年~1646年(万歴13年〜紹武元年)。

字は幼平。石斎、蟠若などと号した。諡号は忠烈その後、忠端と称された。福建省漳浦の人。

生家は貧しかったが博学で幼い頃から多方面に才能を発揮した。特に書法に秀で小楷と行草書をよくした。小楷は鍾繇、王義之を学び古樸の趣を得た。行草書は際立って個性的で張瑞図、倪元璐、王鐸らと並び明代の名人として後世に名を馳せた。

画は山水、蔬菜、松石などを好んで描き、磊落かつ個性的な画風は当時の文人画に大きな影響を与え、倪元璐らと共に明末烈士の画家として知られている。

1622年(天啓2年)進士し官は南明礼部尚書に至った。明滅亡後も降伏する事無く南京で趙士超、蔡春落、頼継謹、毛玉潔ら四人の弟子と共に処刑された。

著書 「山中雑詠」「曹遠思推府文治論」「黄石斎集」ほか。