人間国宝 陶芸作家 近藤 悠三

[記事公開日]2016/01/13
[最終更新日]2017/06/01

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近藤 悠三(こんどう ゆうぞう)
1902年2月8日 〜 1985年2月25日は日本の陶芸家。1977年に人間国宝に認定。
本名は近藤雄三。染付の悠三で良く知られている。
陶芸家・近藤豊(1932年 〜 1983年)は長男、陶芸家・近藤濶(ひろし)は次男。
悠三は陶芸家・美術家の近藤高弘は孫にあたる。祖父は幕末の尊攘運動家の近藤正慎。

略歴
京都市清水寺下出身。
父・正平、母・千鶴の三男として生まれる。祖父である正慎は清水寺の寺侍。
1914年、京都市立陶磁器試験場付属伝習所轆轤科に入所。
1917年に卒業後、同試験場で助手として勤務。当時、河井寛次郎と濱田庄司らが東京高等工業を卒業して技手として陶磁を研究しており、悠三は濱田から窯業科学等を学んだ。
1921年に陶磁器試験場を退職。イギリスから帰国して大和に窯を構えた富本憲吉の助手として師事する。素地や釉薬などの技法だけでなく、制作に対する心構えについても指導を受けた。
1924年京都に戻った後に関西美術院洋画研究所でデッサンや洋画の研究をする傍ら、清水新道石段下に窯を構え陶制を開始。
1928年、第九回帝展で初入選。以後13回連続で入選。他、文展などで多くの作品を発表する。
1950年、第六回日展で審査員を務める。
1955年、日本工芸会に所属。
1956年、『山水染付壺』が第三回日本伝統工芸展で日本伝統工芸会賞を受賞。
1956年、岐阜県多治見市にて志野焼の研究を開始。以降は染付の制作に専念した。つけたてとぼかしを基調とした筆遣いによって濃淡を表したり、ザクロや梅などをモチーフとして絵画的な表現を試みた。1960年以降は、呉須染付に併用して赤絵や金彩の技法を用いるようになり、さらに独特の作風を確立。
日本工芸会常任理事、陶芸部会長を歴任。
1953年、京都市立美術大学(現 京都市立芸術大学)陶磁器科助教授、1956年、同大学教授。1965年10月には学長に就任した。
1970年に紫綬褒章受賞。
1973年、勲三等瑞宝章、京都市文化功労者章を受章。
1977年、重要無形文化財『染付』の人間国宝に認定される。
1980年、紺綬褒章受章。
1985年、逝去。wikipedia より抜粋

京都市清水の茶わん坂にある「近藤悠三記念館」は近藤氏の生家でもあり、長年の仕事場でもあったこの場所には悠三の作品がところ狭しと並んでいます。

近藤悠三 銘

近藤悠三 銘