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[記事公開日]2021/05/02

横山大観 / 日本画家

 
茨城県水戸出身の日本画家。
「朦朧体」と呼ばれる、線描を抑えた独特の没線描法を確立した近代日本画壇の巨匠。
自在な画風で様々な作品を生み出した。
代表作は、重要文化財に指定されている「生々流転」
 
略歴
1868年、茨城県水戸市に水戸藩士酒井捨彦の長男として生まれる。
1881年、東京府立中学校にへ入学。
学生時代から絵画に興味を持ち、画家を志して洋画家の渡辺文三郎に鉛筆画を習う。
1888年、母親の親戚である横山家の養子になる。東京美術学校の入学を志し、狩野芳崖に師事する。
1889年、東京美術学校に合格し、一期生として入学。岡倉天心、橋本雅邦に学ぶ。
1893年、東京美術学校を卒業。卒業制作に「村童観猿翁」を描く。
卒業してからは、伊勢神宮神苑会の古画の模写事業に従事する。
1895年、帝国博物館模写事業に従事。また、京都市立美術工芸学校予備科教員になる。
1896年、東京美術学校図案科助教授に就任。第一回日本絵画協会共進会出品の「静寂」で初めて「大観」号を用いる。
1897年、日本絵画協会、第2、3回共進会に「無我」「聴法」を出品。
1898年、東京美術学校校長だった岡倉天心の排斥運動が起こり、天心が失脚。
橋本雅邦、大観らも追随して辞職し、「日本美術院」を創立。
同年、日本絵画協会、第5回・日本美術院第1回連合絵画共進会に「屈原」「四季の雨」「秋思」出品。
1899年、第7回日本絵画協会、第2回日本美術院連合絵画共進会に「夏目四題」「須佐之男命」「小春」など出品。
1900年、大観は菱田春草と共に西洋画の画法を取り入れた、新たな画風の研究を重ね、線描を大胆に抑えた没線描法の絵画を次々に発表。
しかし、その先進的な画風は当時の画壇の守旧派から猛烈な批判を浴びた。
1901年、春草らと九州・越中・越後、信濃へ写生の旅に出る。
1902年、外遊のため、春草と画会真真会を始める。春草と共に関西・越後を旅する。
1903年、保守的風潮の強い国内での活動が行き詰まりを見せたため、春草と海外へ渡る。
インドへのカルカッタや、アメリカのボストンで展示会を成功させ、高い評価を得る。
その後、ロンドン、パリ、ベルリンでも同様に高い評価を得る。海外での評価を受け、日本国内でも「朦朧体」の評価が見直される。
1906年、日本美術院の拠点を茨城県五浦に移し、天心、春草、木村武山らと移住。
1907年、大観、天心、観山、雅邦らが文部省美術展覧会の審査員に就任。大正時代における琳派ブームを牽引した。
1913年、第7回文展で最後の審査員を務める。作品「松並木」を出品。
1914年、下村観山、木村武山、木村武山らと日本美術院を再興する。
1934年、「虫の音」で朝日文化賞受賞。1935年、帝国美術院会員となる。
1937年、第一回文化勲章を受ける。同年、帝国芸術会員となる。
1938年、来日したアドルフ・ヒトラーに作品『旭日霊峰』を献呈。
1951年、日本美術院会員を辞任。1954年、茨城県名誉県民となる。
1958年、89歳で死去。長年の日本美術発展への貢献により、正三位勲一等旭日大綬章を贈られる。
 
 

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