傅山 フザン fu shan 1607年〜1684年(万暦35年〜康煕23)は明時代末期から清時代初期活躍した文人画家、書家、思想家、医学家。
字は青竹のちに青主と改めた。嗇廬 、朱衣道人、僑黄老人、丹崖翁、石道人、真山、濁堂山人、酒道、酒肉道人、龍池道人など数多くの号を用いた。陽曲(現在の山西太原)の人。
代々学者のの家に生まれ幼い頃から詩、文、書画に秀で、経史諸子、道仏、医学に通じ大博士として広く知られた。明滅亡後は清朝に仕える事なく故郷に帰り医者として生計を立てた。画は山水を得意とし、墨竹は独自の境地に至った。書ははじめ顔真卿、趙孟を学び、あらゆる書体を習得し篆刻にも通じた。
著書 『霜紅龕集』ほか
字は青竹のちに青主と改めた。嗇廬 、朱衣道人、僑黄老人、丹崖翁、石道人、真山、濁堂山人、酒道、酒肉道人、龍池道人など数多くの号を用いた。陽曲(現在の山西太原)の人。
代々学者のの家に生まれ幼い頃から詩、文、書画に秀で、経史諸子、道仏、医学に通じ大博士として広く知られた。明滅亡後は清朝に仕える事なく故郷に帰り医者として生計を立てた。画は山水を得意とし、墨竹は独自の境地に至った。書ははじめ顔真卿、趙孟を学び、あらゆる書体を習得し篆刻にも通じた。
著書 『霜紅龕集』ほか