張 瑞図 ちょう ずいと tyou-zuito は中国、明時代末期に活躍した文人画の大家。西暦1570年~1644年(隆慶4年~崇禎17年)

字は長公、二松と号した。福建晋江の人。万暦35年(西暦1607年)進士し翰林院に入った。その後、天啓6年(西暦1627年)武英殿大学士に抜擢され同7年に内閣に入りし、魏忠賢に重宝された。その後、崇禎元年に管を退いた。引退後は禅、詩文、画に励んだ。その書法は奇逸で、諸家に学び、邢侗、米万鐘、董其昌らと合わせ「明末四大書家」と称された。山水は黄公望を学びよく描いた。張瑞図の子の潜夫は、江戸時代前期に明国から渡来した黄檗宗の僧侶、木庵性瑫(もくあんしょうとう)と親交があった事から日本に数多くの作品が持ち込まれた。享年71歳。