陳継儒 ちんけいじゅ tin-keijyu は中国、明時代末期に活躍した書家・画家。西暦1558年~1639年(嘉靖37年~崇禎12年)

字は仲醇、眉公・糜公と号した。華亭県泖橋(現在の上海市松江県)の人。董其昌(とうきしょう)と同郷で親友。早年は民生国家に関心を抱き、民間管界への影響は大きく、人々から『山中の宰相』と尊称された。その為度々度々宮廷から招聘されたが生涯仕官する事は無かった。子史百家に精しく詩文に秀でた。書法は蘇軾、米芾に学び、特に蘇書の収集に力を入れ、自ら『晩香堂帖』を模刻した。画は山水、墨竹を好み得意とした。

代表作には北京故宮博物院所蔵の『行書 七律詩』や、京都国立博物館所蔵の『墨梅図冊』などがある。