明・陳淳 みん・ちんじゅん ming・chen chun は中国、明時代中期に活躍した文人、画家。西暦1483年~1544年(明・成化19年~嘉靖23年)

字は道復、後に復甫とあらためた。白陽、白陽山人と号した。江蘇蘇州の人。経済、詩書、を得意としたが生涯士官することなく、文人画家を生業とした。文徴明に師事し書画を学ぶも師方にとらわれることはなかった。後に米芾や沈周の画法を習得。花卉の写意を最も得意とした。淡墨で淡い色合い、清爽な風格、意趣はあふれ、徐渭、八大山人らの画風の先駆者となった。『青藤白陽』と称され、明代文人画における写意花鳥派の代表とされる。山水は米友仁、高克恭を学び、筆墨は縦横ででかつ規範を失わなかった。書は楊凝式、林藻を学んで老筆に及んでは新意を出した。著書「白陽山人集」ほか。