沈周 しん しゅうは中国、明時代中期の文人、書家。西暦1427年12月9日~1509年8月17日(宣徳2年11月21日~正徳4年8月2日)

字は啓南、石田、白石翁と号した。長州(現在の江蘇呉県)

生涯、仕官することなく書画詩文の創作を続けた。

黄庭堅を学んだ書には、変化に富み文字に傾きを加え、結体は穏やかで、筆使いは力強く、自ら一格を成した。

沈周の画く山水は宋元の諸家を法とし、広範に学びながらも自らの表現を新たに生み出した。それは、黄公望の壮烈、呉鎮の荘重、馬遠や夏珪のたくましさを兼ね備えた様で、簡潔かつ大胆な風格を作り上げた。

呉門派の宗師とされ唐寅・文徴明、仇英らと合わせ「明四家」と称された。また蘇州文壇の元老として書家としても歴史に名を残した。

著書『客座新聞』『石田集』ほか。

代表作には『廬山高図』1467年 台北国立故宮博物院蔵。『倣大癡山水図』1494年 上海博物館蔵 などがある。