浅井忠/画家
 日本初の官立工部美術学校で、イタリア人画家フォンタネージから西洋美術を学ぶ。同志と日本初の洋画団体「明治美術会」を設立。同展に『春畝』『収穫』(いずれも重要文化財)などを出品。東京美術学校教授就任。文部省の命を受け、西洋画研究のためにフランス留学。帰国後、京都高等工芸学校図案科教授となる。関西美術院設立後、院長に就任。