秦蔵六(はた ぞうろく)は山城国愛宕郡(京都府)出身、江戸時代幕末から明治時代にかけて活躍した鋳金家。

1868年(慶応3年)〜1890年(明治23年)

童名は米蔵。1825年(文政8年)22歳のとき京都の鉄瓶屋、二代龍文堂に師事する。

その後、独立して中国周漢時代の古銅器の研究に没頭。鋳金の技法である蠟型鋳造(ろうがたちゅうぞう)を得意とした。

独立と同時期に大和地方頻繁に訪れ、古代の鋳金作品を鑑賞、研究した。

江戸幕末期に孝明天皇の銅印を制作。将軍徳川慶喜の黄金印を制作して一躍有名になる。

その後、明治に入ってから天皇御璽・大日本国璽(印鑑)を手がけ、ますます評価される。

1890年(明治23年)86歳で永眠。

初代以降も『蔵六』の名と伝統の鋳金技法を代々、継承。現在は6代目(京都金属工芸共同組合理事長)。日本における金属工芸の第一人者として今日に至っています。

ご紹介させて頂いているお写真は、三代目蔵六と※富岡鉄斎の合作によって制作された茶托。(漢詩、五清図刀彫・富岡鉄斎)

※富岡 鉄斎は、明治・大正期の文人画家、儒学者。日本最後の文人と謳われる。

秦蔵六の作品は現在、日本国内のみならず、中国や台湾を初め東アジアで人気が高まり、売却価格が高騰しています。

鉄瓶、銀瓶、茶入れ、香炉などの茶道具作品は特に高価買取しております。