姚綬 ようじゅ は中国、明時代の書家。西暦1423年~1495年(永楽21年~弘治8年)
字は公綬、穀庵、雲東逸史、丹丘生と号した。浙江嘉善の出身。
天順8年(西暦1464年)に進土、監察御史として仕管する。その後、成化(西暦1465年~1487年)の間に江西永寧府に仕管。
その後、古里である浙江嘉善に帰り大雲里の東に室を築いた。
室名を丹丘と名乗り、故に姚は丹丘と称された。書画に秀で詩を善くした。書は趙孟頫、張雨とし、柔美ながらに質朴、強健を兼ね備えた。
山水画は孟頫頫、王蒙らを師とし、江南の水郷風景を数多く描いた。重厚な筆遣い、蒼潤な墨色に特徴がある。
著書に「穀庵集」全30巻があるが、後世に伝わるのはわずか10巻のみだけである。
字は公綬、穀庵、雲東逸史、丹丘生と号した。浙江嘉善の出身。
天順8年(西暦1464年)に進土、監察御史として仕管する。その後、成化(西暦1465年~1487年)の間に江西永寧府に仕管。
その後、古里である浙江嘉善に帰り大雲里の東に室を築いた。
室名を丹丘と名乗り、故に姚は丹丘と称された。書画に秀で詩を善くした。書は趙孟頫、張雨とし、柔美ながらに質朴、強健を兼ね備えた。
山水画は孟頫頫、王蒙らを師とし、江南の水郷風景を数多く描いた。重厚な筆遣い、蒼潤な墨色に特徴がある。
著書に「穀庵集」全30巻があるが、後世に伝わるのはわずか10巻のみだけである。